来振寺の文化財

【国宝】
絹本著色五大尊像 (2004指定:奈良国立博物館に寄託中)
 不動明王像(中尊)(ふどうみょうおう)
 降三世明王像(東方)(こうざんせみょうおう)
 軍荼利明王像(南方)(ぐんだりみょうおう)
 大威徳明王像(西方)(だいいとくみょうおう)
 烏蒭沙摩明王像(北方)(うすさまみょうおう)

五体尊とは不動(ふどう)・降三世(ごうざんぜ)・軍荼利(ぐんだり)・大威徳(だいいとく)・烏蒭沙魔(うすさま)の五大明王の総称で、如来が憤怒の姿をとって化身したものである。来振寺の五大尊は五幅すべてが揃っていることや、おおくの脇侍や使者を配した構図が珍しい。彩色がよく残り、截金や金銀泥を使用した技巧にすぐれている。また降三世明王像には「寛治二年(一〇八八)十月十日」、軍荼利明王像には「寛治四年六月一日」とそれぞれ裏書されている。
記年銘のある「平安仏画」の数少ない例として貴重であり、国指定重要文化財に指定されてから三十年を経た二〇〇四年に国宝に格上げとなった。



【岐阜県指定重要文化財】

如意輪観音像(絹本著色)
昭和35・3・30 県指定
<寸法>101cm×37p
 六観音(聖・千手・馬頭・十一面・不空絹索・如意輪)の一つ。如意とは如意宝珠の三昧に住して意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜く本誓とし、別名を救世観音(ぐせかんのん)と称する。
 寺伝によれば空海が唐から請来したものとされている。


弘法大師御影像(絹本著色)
昭和35・3・30 県指定
<寸法>93cm×39cm
真言宗を開き日本文化・社会福祉史上に大きな足跡を残した人である。
御影図はいわゆる真如親王様といわれる。斜め右に顔を向け、右手に五鈷杵を握り、左手には念珠を持ち椅子に座している。大師像の上部には空海筆と伝えられる経文がある。

蓮台阿字(絹本著色)
昭和35・3・30 県指定
<寸法>91cm×49cm
 逆蓮華上に立つ五鈷杵(ごこしょ)に支えられた蓮台に、梵字の阿字が大きく太く書かれている。これは密教で古くから修している阿字見方法(座禅)の本尊として用いられるものである。阿字は声字の根源であり、大宇宙、大日如来とする象徴梵㉂である。
 寺伝によれば、『興教大師覚鑁(真言宗中興の祖)』の筆とされている。


【大野町指定文化財】

十一面観世音菩薩像
昭和52・4・19 町指定
秘仏本尊。全身金色で左手に華瓶を持って念珠をかけ、右手に錫杖を持って蓮華座上に立っている。毎年旧暦の7月17日(現在は8月第4土曜日)に開扉される。大垣藩出身で来振寺住職から智積院第12世管長になった義山僧正が宝永8(1711)年に寄進したもの。

十一面観音像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈48cm
 本尊が秘仏であるのでその前立ちとして祀られている仏像である。全身金色で左手は華瓶を持ち右手は垂れ念珠を持ち、蓮華座上に立っている。

不動明王立像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈51cm
 明王は念怒身で如来の化身とされ、その代表的存在が不動明王で大日如来の化身とされている。磐石に立ち全身黒色で左手に索を右手に剣を持った忿怒形で背後に火焔がある。特色は黒い顔は角形で、腕の太いことは火焔光がきわだっていることである。

弁才天坐像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈55cm
 歌詠・音楽を掌る女神で、無礙の弁才を有し、のち福徳の神とし、七福神の一つに加えられた。八臂で弓・箭・長刀杵・矢・索等を持するが、この像は左膝を立てて右足を垂らし蓮の葉上に座し、二臂で琵琶を弾じている。

大日如来坐像(木造金胎各1体)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>各身丈43cm
 密教の根本教主で宇宙の一切森羅萬像を仏格化した尊で、梵語で摩訶毘盧遮那仏という。金剛界の大日如来は知徳を表し胸元に智拳印を結び、胎蔵界の大日如来は理性を表し膝上に法界定印を結んでいる。何れも金色であったが剥落している。

弘法大師坐像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈51cm
 大師堂の本尊仏で、椅子上に座して、顔は正面を向け左てに念珠、右手には五鈷杵を持っている。椅子の横には水瓶があり、正面には靴敷上に靴がおいてある。色は黒色。

興教大師坐像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈43cm
 真言宗中興の祖で密厳尊者と称し、覚鑁正覚房と号する。新義派の寺院には大師像を祀っている。全体に彩色され、椅子上に座し衣の袖内で印を結び座の下に靴がある。

地蔵菩薩半跏像(木造)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>身丈66cm
釈迦滅後、弥勒が出世までの6道の衆生を教導する菩薩である。胎蔵界マンダラでは菩薩形であるが、一般には僧形の像である。総てば金色で蓮華上に左右を垂らし右足を曲げて座し、左手に宝珠を、右手に錫杖を持っている。

円空仏大日如来坐像(木造)
昭和55・4・19 町指定
<寸法>身丈32cm
 当時唯一の円空仏。法界の定印を結んだ胎蔵界の大日如来で仏像全体が丁寧に彫られている。裏には胎大日の種子のバンの梵字が書いてある。

薬師如来十二神將図(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>133cm×83cm
東方浄瑠璃世界の教主で衆生の病を治し災禍を除くを本誓とし、大蓮華上に住し、右手に施無印を結ぶ。
本尊の左右には日光・月光の菩薩を配し、さらにその外側には薬師の12大願を達した12体の善神(十二神將)を配している。

閻魔マンダラ(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>94cm×42cm
 閻魔天が白水牛にまたがり、右手は拳をあおむけ、左手には閻魔幢(棒の尖端の半月形の上に人頭のあるもの)を持ち中央におり、その左右に閻魔后、その上下に五道の大神・拏吉尼・遮文茶・大山府君・聖天・成就仙が描いてある。

日光菩薩像(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>88.5cm×38cm
 薬師如来の脇士として月光菩薩と相対し、薬師瑠璃光浄土の代表的2菩薩である。日光菩薩は本尊の左脇に蓮花茎上に日輪を持っている。

十三面仏図(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>93cm×39cm
 胎蔵界マンダラの13大院を統一したもので、大日如来のみ金剛界から取り入れ、金胎不二の真理を現す。
 後世には亡者の忌日年忌に相当され追善供養の本尊とした。

千手観音像(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>100.5cm×42.7cm
 この十一面千手観音は千手千眼観在菩薩とも称され、千の慈眼、千の慈手で衆生を救われる大慈観音である。千は無限を現す。蓮台上の立像は彩色も鮮やかで持ち物もはっきり描いてある。

如意輪観音像(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>106.5cm×53cm
六観音の一つで、一面六臂で蓮華座に座し、舟形光背は金色で、その他は極彩色で美しい。

十六善神図(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>114cm×57cm
 般若経を守護する十六善神で、中央に釈迦如来、左右に文殊、普賢の両菩薩を配し、その外側左右に十六善(夜叉)神を描いている。左右の最下部には玄奘三蔵と深沙(しんじゃ)大将がいる。

弘法大師像(絹本著色)
<寸法>114cm×57cm
昭和52・4・19 町指定
 県指定の御影図と同じ配図で椅子に座し、手には左右に念珠、五鈷杵を持ち株に水瓶と靴を描き上部には大師遺告の一節が記してある。当図の絹目は非常にあらい。

興教大師像(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>95cm×42cm
 真言宗を中興し、大伝法院と金剛峰寺の座主となり後に根来寺を開き、真義真言宗の祖とあがめられた。僧名覚鑁(かくばん)の著書20数部。図は伏机に座し衣の袖内で印を結ぶ。座下に靴を描いている。

涅槃(ねはん)図(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>142cm×169cm
 釈迦入滅を表す絵で、毎年2月15日にこの図を掲げ涅槃法会を修し礼拝する。中央に釈迦が北枕右脇を下にして臥し、周囲には多くの仏弟子・鬼神・畜生が歎き悲しんでいる相を、右上には仏滅を知り母摩耶夫人らが利天から降りてくるところを描いている。

阿字二菩薩図(絹本著色)
昭和52・4・19 町指定
<寸法>43.5cm×94.5cm
 密教で古くから修「している阿字観法(座禅)の本尊として用いられている。円の中央に蓮華上に梵字の阿字を描き、その下左に千手観音、右に文殊菩薩を配している。

懸仏(かけほとけ)
昭和52・4・19 町指定
円形木芯に銅版をはり、彫刻を施し中央に金属の十一面観音、上部には仏天蓋、左右に蓮華を入れた華瓶が取り付けてある。全体に薄く金泥を塗り、裏面に祈願文が記してある。「奉懸十一面尊形信心施主息災延命増長福寿富貴自在所志氏蔵之住僧慶与 生年五十七歳天正十三年庚酉六月十八日 施主敬白」 *天正十三年・・・・・・1585年

手洗い石
昭和53・2・24 町指定
<寸法>直径1.8m・短径1.3m・高さ0.3m
 白山山頂の本殿前にあったものを移したもので、「天和二年壬戌二月更地村住人国枝長蔵敬白」とある。 *天和二年・・・・・・1682年

大般若経(1巻)
昭和52・4.19 町指定
 大般若経600巻の1巻で、紺紙に金泥で写経してある。寺伝によると曽我野西方の夕ヶ池から吹き出した金泥により写経しで写経して豊納したことがある。

般若心境(紙本)
昭和52・4.19 町指定
<寸法>23cm×19.5cm
行基筆 末尾に「天平十四年午暦 三月五日行基(花押)」とある。
 *天平十四年・・・・・・742年

大日経(紙本)
昭和52・4.19 町指定
<寸法>31.5cm×95cm
 青蓮院尊円親王筆 大日経の一節「一切衆生色心実相・・・・・・」尊円親王は伏見天皇の第6皇子(1298〜1356)で書道の大家で御家流の祖師とされ、天台座主(管長)も勤めた。

骨壷
昭和56・2・26 町指定
 昭和43年1月、来振寺本堂裏の大岩付近から出土した。


【民俗文化財】

駕籠
昭和53・2・24
<寸法>高さ85cm・幅100cm・奥行天47cm・地70cm
江戸時代に、当時の歴代住職が大垣城主を公式伺候の折に使用した。菊紋がつけられている。

節分星まつり
昭和55・3・8
 2月3日の節分に、不動堂前に斎域を設け、星マンダラと五大尊をまつり、山伏姿の修法師10余名が古式にのっとり、柴灯ゴマ供を修し、除災招福を祈る法会である。最後にゴマの火で青竹筒に酒を入れて笹酒として参詣者に振舞う。また年男等による福豆まきも行う。


【天然記念物】

カヤ
昭和53・2・24 町指定
<寸法>幹囲1.3m・樹高9m
樹齢約480年

イチョウ
昭和53・2・24 町指定
<寸法>幹囲4.2m・樹高32m
樹齢約350年

ツバキ
昭和53・2・24 町指定
<寸法>幹囲1.45m・樹高9m
樹齢約380年
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